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東京地方裁判所 昭和42年(ワ)9553号 判決 1969年5月07日

原告 中田武臣

右訴訟代理人弁護士 工藤舜達

被告 葛飾区

右訴訟代理人東京都事務吏員 竹村英雄

<ほか一名>

主文

被告は原告に対し金九〇万円およびこれに対する昭和四二年九月一三日以降右完済まで年五分の割合による金員を支払え。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを二分し、その一を被告の負担とし、その余は原告の負担とする。

本判決は原告勝訴部分に限り仮に執行することができる。

事実

一、原告は「被告は原告に対し金一八〇万円およびこれに対する昭和四二年九月一三日以降右完済まで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決および仮執行の宣言を求め、その請求原因として次のとおり陳述した。

(一)  昭和四一年六月頃、訴外渡沼欣也は原告に対し、訴外北島友良が債務者となり訴外大庫かねが債権極度額金八〇〇万円の限度で東京都葛飾区小菅二丁目四二八番一宅地一八四坪(六〇八・二六平方米・以下本件宅地という。)につき根抵当権を設定している平和相互銀行に対する債務の肩替りを申し入れ、右大庫が多くの不動産を所有し支払は確実であると称し、右大庫の白紙委任状、被告の発行した右大庫の印鑑証明書等を示したので、右大庫および北島を連帯債務者として融資することとした。

そして、右渡沼が右大庫および北島の代理人となり、被告発行にかかる大庫の印鑑証明書(昭和四一年六月二四日証第八四二九号以下甲印鑑証明書と称する。)を提出して東京法務局所属公証人三堀博に嘱託し、貸金元本金五〇〇万円、弁済期昭和四一年一二月二五日期限後の損害金日歩八銭二厘とする金銭消費貸借につき公正証書(昭和四一年第二七四七号以下甲公正証書という。)を作成し、また同日原告を債権者、大庫および北島を債務者とし、債務者らが同日付証書契約等により負担する現在および将来の債権を担保するため前記宅地に債権元本極度額を金五〇〇万円とする根抵当権を設定し、右債務の不履行を停止条件として右宅地をもって代物弁済し、かつ賃借権を設定する旨の契約書が作成されたので、原告は右北島に金五〇〇万円を交付して貸与した。

そして、原告は右契約書による根抵当権等設定契約に基き北島の持参した被告発行にかかる印鑑証明書(昭和四一年六月二四日証第八四〇三号以下乙印鑑証明書という。)と大庫名義の委任状をもって司法書士大江登に委任し、右宅地につき根抵当権設定登記、停止条件付所有権移転および賃借権設定の各仮登記の登記手続をした。

その後、原告は右貸付金の一部返済を受けたのであるが、昭和四一年一〇月一五日右返済分を追加貸付し、前同様渡沼欣也が大庫および北島の代理人となり右大庫の委任状、被告発行にかかる印鑑証明書(以下丙印鑑証明書という。)を提出して公証人三堀博に嘱託し、貸金元本を金五〇〇万円、内金一〇〇万円を昭和四一年一〇月二五日、内金一五〇万円を同年一一月一五日、内金一〇〇万円を同月二五日、内金一五〇万円を同月三〇日返済、期限後の損害金を日歩八銭二厘とする消費貸借公正証書(昭和四一年第四七〇二号以下乙公正証書という。)が作成された。

以上の原告の金銭貸与は、いずれも右各印鑑証明書および委任状を信用し、大庫所有の不動産を担保として貸与したものであるところ、右印鑑証明書に顕出された印影は、大庫の登録済印鑑とは異っていたため、大庫から同人と原告間の右各契約は無権代理人によってなされたの故をもって無効として原告に対し請求異議の訴(当庁昭和四二年(ワ)第四五二号)が提起され、原告において勝訴の見込はない。一方北島は逃亡し同人には強制執行すべき財産もないので、前記貸金五〇〇万円のうち金三二〇万円を回収することができたのみで、残金一八〇万円の回収はできない。

(二)  ところで、右各印鑑証明書は、北島が大庫の印章を偽造した上これを用いて同人の代理人として被告葛飾区第一〇出張所印鑑証明係に印鑑証明を申請して交付を受けたものであるところ、印鑑証明書は一旦これが発行されるときはこれによって財産取引がなされ、印鑑証明の名義人、取引の相手方に財産上重大な影響を与えるものであるから、印鑑証明の事務に携わるものは、印鑑証明書を発行するに際しては細心の注意を払って照合し、誤った証明をしないようにする義務があるに拘らず、前記係員は、右の義務を怠り、単に印影を近接させて肉眼をもって比較しただけでも、右北島の申請した印影と登録印鑑との相違は容易に発見し得たに拘らず、前述のごとく真実に反する印鑑証明書を発行するに至ったものである。したがって、右印鑑証明書を信頼して財産上の取引をなした原告が右取引により蒙った損害は、被告の職員の過失によるものとして国家賠償法に基き被告が賠償すべきである。よって、原告は被告に対し回収不能となった右貸金相当額の金一八〇万円およびこれに対する本件訴状送達の日の翌日たる昭和四二年九月一三日以降右完済まで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二、被告は「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、答弁として、訴外大庫から原告主張の請求異議の訴が提起されていること、訴外北島が右大庫の代理人として被告葛飾区第一〇出張所印鑑証明係で印鑑証明を申請し印鑑証明書の交付を受けたこと、原告主張の甲・乙印鑑証明書が右北島の交付を受けた印鑑証明書であり、右印鑑証明書が大庫の登録した印鑑とは異る印影について証明してしまったものであることは認めるが、丙印鑑証明書において証明せられた印影は登録済印鑑と相違するものではない、その余の原告主張事実は不知であると述べ次のとおり主張した。

(一)  被告の第一〇出張所職員の右印鑑証明書交付について過失はない。

印鑑証明担当係員が印鑑証明に際して登録済印鑑と照合する方法は、通常、申請用紙に押捺された印影を登録済印鑑の印鑑簿の印影に近接させ肉眼により照合するものであって、警視庁鑑識課で行われるような高度の技術的確度を期待することはできないものであり、まして、最近印顆製造の機械化が進み、往時の手掘のものと異なり、識別に困難な同じような印顆が製造される現状であるから印鑑照合事務の正確度について一定の限度が認められなければならない。

しかるところ、北島が大庫の代理人として証明を申請した印影は大庫の登録済印鑑と極めて類似し通常の方法によって簡単にその相違を見わけることはできない。被告の第一〇出張所職員は本件印鑑証明事務手続において通常必要な注意を怠ってはいなかった。

(二)  仮りに右印鑑証明書発行について被告の職員に過失があったとしても、原告主張の損害との間には相当因果関係はない。

原告は、大庫の印鑑証明書を示される以前、即ち昭和四一年六月二四日甲公正証書の作成前、北島友良の平和相互銀行に対する債務を弁済し、本件宅地について設定された抵当権の抹消を得るための費用として甲公正証書による貸金のうち金二〇〇万円を交付しているのであって、甲公正証書の作成および根抵当権設定登記はその後になされたのである。したがって、原告は大庫の印鑑証明書を示される以前に北島らに融資する意思を決定し一部金員の交付をしているのであるから、原告主張の損害と被告の印鑑証明書発行とは何の関係もない。

しかのみならず、およそ印鑑証明はそれ自体価値を有するものではなく、一定事項の登記登録等の手続上必要とされるにすぎないのであって、原告主張の損害発生について直接の原因となるものではない。むしろ、右損害の直接の原因は根抵当権設定の無効、北島の債務不履行ないし無資力にある。さらに、本件丙印鑑証明書は大庫が昭和四一年九月一七日被告区の区長に対し申請し交付を受けた三通の印鑑証明書の一通で、前述したとおり、登録済印鑑と相違するものではないところ、大庫の原告に対する前記請求異議の訴においては、大庫は乙公正証書の無効を主張しているものであるが、その無効とする理由は、右公正証書記載の契約をした事実はなく、右三通の印鑑証明書を悪用されたというのであるから、右訴訟において原告が敗訴することは被告の発行した印鑑証明書とは何の関係もない。しかも、甲公正証書を作成してなされた原告主張の消費貸借も次に述べるとおり乙公正証書作成の際にすべて清算され、債権債務は消滅しているのであるから甲公正証書作成の際に用いられた印鑑証明書が誤っていたことと原告主張の損害とは何の関係もない。即ち、

甲公正証書に基く消費貸借は、契約成立後北島が金三〇〇万円を弁済して再貸付と借換えを希望したので昭和四一年一〇月一五日新たに金五〇〇万円を貸付けて旧債務を清算し、元本弁済期を原告主張のとおり割賦弁済することとし乙公正証書を作成したのであるから、旧債務は清算され消滅したものというべきである。乙公正証書が改めて作成され、これに基いて強制執行が行われているのもこの故にである。

(三)  以上いずれも理由がないとしても、原告においても過失があるから、右賠償額算定について斟酌されるべきである。

原告主張の金銭貸借はもっぱら原告は北島を相手方として交渉し、貸付金員の交付も北島の居宅で原告から直接北島に交付され、原告は大庫とは全く面識がなく何らの交渉も行われていない。

そして、右貸金の担保は、大庫所有の宅地が唯一のものであり、それが提供されたことにより貸付が行われているものであるところ、かような場合には、金融業者である原告としては、大庫の真意、信用等を調査し、或いは渡沼の代理権の有無について確かめるべきである(大庫は右北島の居先の近所に居住していたのであるから右調査確認は容易である。)のに、何らそのような措置をとることなく金員を北島に交付したのであるから、右は原告が当然とるべき責務を果さなかったもので社会通念上不注意又は怠慢のそしりを免れない。

三、原告は被告の主張に対し次のように反論した。

(一)  被告区は、地方自治法二八一条二項一二号により印鑑照合事務を担当するのであって、その正確度を保証する義務があり、被告主張のごとく正確度を限定することは右事務そのものを放棄することになる。

印鑑照合事務を取扱う職員は照合技術につき研修を受け解説書の交付を受け、かつ事務所には拡大鏡も備えられている筈である。

(二)  印鑑証明書は世上財産取引に極めて重要な作用を営んでおり、一旦虚偽の印鑑証明書が交付されるときは不動産取引に関する不正行為の発生は容易となり、このため何らかの損害を蒙るものの生ずることは当然である。本件においても、原告が、大庫から訴求を受ける請求異議等の訴において敗訴することが確定的であれば、それは本件印鑑証明書の発行に基因するものであること明らかでありこれによって蒙る損害は右印鑑証明書の交付と相当の因果関係がある。

仮りに、丙印鑑証明書が登録済印鑑に相違する印鑑の証明をしたものではないとしても、乙公正証書に基く契約は実質において甲公正証書に基く契約上の債務を確認しその弁済方法を定めたものに過ぎないのであり、しかも原告が本件貸付を行ったのは甲公正証書が作成され前記大庫所有宅地に根抵当権の設定を受けたからであり、右の設定が無効であれば乙公正証書の存否にかかわらず貸金債権の回収は不可能であったのである。

(三)  原告は本件各印鑑証明書およびこれと同一の印影の押捺されている委任状によって大庫の意思を確認したのであるから原告に過失はない。元来面識のない本人を確認する最も確実で一般的な方法としては印鑑証明書が利用されており、社会通念上はもとより法律制度の上からも過失はないとされており、例えば登記登録においても印鑑証明書のほかにさらに本人の意思を確認する方法はとられておらず、諸官庁銀行その他においても同様である。一般私人である原告にこれを超える注意義務は要求されるものとは考えられない。しかも本件においては北島およびその妻(大庫の娘)から大庫は不在で会うことはできないといわれていたのであるからそれ以上の確認は事実上不可能である。

四、立証関係≪省略≫

理由

一、原告主張の甲乙印鑑証明書が被告区第一〇出張所職員の発行したものであり、右証明書が、大庫かねの登録済印鑑と相違する印影について誤って相違ない旨の証明をなしたものであることは当事者間に争いないのであるが、原告主張の丙印鑑証明書が右同様誤ってなされた証明書であることについてはこれを認め得べき証拠はな(い。)≪中略≫

よって、右甲、乙印鑑証明書の発行が過失によるものであるか否かについて次に検討する。

印鑑証明書は地方自治法の規定により市、町、村、特別区が発行するものであって、一般に財産上の取引をなすについて文書の真正ひいては取引の衝にあたるものの権限の存否の判断のため利用されるものであるから、右証明事務を担当するものは格別の注意をもって、申請のあった印影が登録済印鑑と相違するか否かについて判定すべき職責を有するものというべきである。尤も、右証明事務を行うに当り、鑑定等に用いられる如き高度の科学的方法の採用をも要求せられるものと解することはできないが近接させて肉眼で判別するのみでは足らず拡大鏡を用いて真偽を判定する程度の注意義務は要請せられているものと解するのが相当である。

ところで、≪証拠省略≫中各大庫かねの印影を対照すると、「か」なる文字の右方の点の長さその下り方の相違は少しく注意すれば容易に疑をもってしかるべきものであり、拡大鏡を用いればその他の相違点も認識し得たものと認められるのである(≪証拠省略≫により認められるように、被告区の職員も甲乙印鑑証明が登録済印鑑と相違するものについてなされたことを特段の方法を用いることなく認識し得たことも、真偽の判定が容易であったことを示すものである。)。

してみれば、被告区の職員は印鑑証明事務に携わるものとして通常要求される注意義務を怠り、誤った印鑑証明書を発行したものといわねばならないから、右の印鑑証明書を信用して財産上の取引をなすに至ったものに対し被告区はこれによる損害を賠償すべきである。

二、よって次に原告主張の損害について判断する。

≪証拠省略≫を綜合すれば、

原告は昭和四一年五、六月頃訴外渡辺欣也から電話で渡沼の知人の資産家で平和相互銀行から金を借りているもののために借金の肩替をして欲しいという申入れを受け、その後も何回か頼まれた結果、訴外北島友良と会い、同人らから、右の借金とは、同人の母訴外大庫かねが担保提供者となり、原告主張の宅地に極度額金八〇〇万円の根抵当権を設定して借り受けたものであり、大庫が右担保を抹消して原告に担保として提供するということであったので、大庫には面接しないが金五〇〇万円の融資を承諾し、昭和四一年六月二四日北島に金二〇〇万円を交付して貸主平和相互銀行に弁済せしめ、次いで原告と渡沼北島の三名が同日被告の第一〇出張所に赴いて、北島が大庫の代理人となって北島の偽造した大庫の印章を用いて大庫の印鑑証明書の交付を申請したところ、被告の同出張所職員は右申請の印鑑が大庫の登録済印鑑と相違することに気づかず誤って登録済印鑑と相違ない旨の印鑑証明書二通(本件甲乙印鑑証明書)を北島に発行交付した。そこで、北島は、そのうち甲印鑑証明書および偽造印を押捺した大庫の白紙委任状を渡沼に使用させ、渡沼は北島および大庫の代理人となり東京法務局所属公証人三堀に嘱託して原告主張の甲公正証書が作成せられ、さらに同日北島は大庫の代理人となって原告に対し、本件宅地を右甲公正証書による債務の担保として提供し、原告主張の根抵当権設定停止条件附代物弁済竝びに賃借権設定の契約をなし、右契約証書に、前記偽造の大庫名義の印章を押捺した。原告は前記のとおり平和相互銀行に弁済がなされたので司法書士に前記平和相互銀行のための根抵当権設定登記の抹消登記手続を依頼し北島に金一〇〇万円を交付し貸与し残金二〇〇万円は右甲公正証書作成後北島が大庫記年男名義で設けている平和相互銀行千住支店の口座に送金して貸与した。しかし、右の抹消登記手続は根抵当権設定契約等による登記手続をするための権利証も保証書もなかったので直ちにしてしまうことに危険を感じ、これらの書類が取り揃えられるまで手続をしないよう依頼しておいた。そして昭和四一年七月二日になって保証書ができたので抹消登記手続をした上前記乙印鑑証明書を添付してもって、前記契約に因る根抵当権設定登記、停止条件附代物弁済および賃借権設定の各仮登記手続をなさしめた。しかるところ、北島はその後、右貸金の一部を返済し、原告はその返済の態度に好感をもったので北島の要望により、右返済分を新たに貸付け、結局合計金五〇〇万円の貸金について北島の持参した丙印鑑証明書を提出させて前同様渡沼欣也を北島および大庫の代理人として乙公正証書を作成させた。しかるに右のように渡沼ないし北島が代理人としてなした各契約は全く大庫の不知の間になされたものであるとして、原告は大庫から甲乙公正証書について請求異議の訴を提起され勝訴の見込はない。そこで大庫に対しては弁済を求めることができず、担保権の実行もできないところ、一方北島は逃亡して、みるべき財産もないので債権全額の回収はできず、結局金一八〇万円については弁済が得られないでいる。

以上の事実を認めることができ、原告本人尋問の結果中右認定に反する部分は措信できない。

してみれば、原告が金五〇〇万円の融資をすることを決定し、内金三〇〇万円を交付するについては、被告発行の印鑑証明書を信頼して取引をなしたものであるとはいえないけれども、残金二〇〇万円を送金したのは、甲印鑑証明書が提出せられて甲公正証書が作成せられ、甲印鑑証明書によって、北島に大庫の代理権ありと信じて根抵当権設定等の前記各契約ができたからであり、また後に至って前述のとおり追加貸付をしたのは、乙印鑑証明書により根抵当権等の設定登記がなされ、これによって右貸付分についても前記宅地をもって担保せられるものと信じたが故であると認むべきであるから、結局乙公正証書による貸金全額について北島から回収し得ないときは、未回収分は、被告区第一〇出張所職員の発行した印鑑証明書が誤っていたことにも基因して原告の蒙った損害といわねばならない。被告は右の損害は根抵当権設定の無効、北島の債務不履行ないし無資力が原因であって、被告区の第一〇出張所係員の印鑑証明書発行とは相当因果関係はないというけれども、被告主張の右事実がなければ原告は損害を蒙らなかったであろうけれども、被告発行の印鑑証明書がなければ、甲公正証書の作成、根抵当権設定契約ならびにこれに因る登記もなされなかったであろうししたがってまた原告においても前記残金二〇〇万円を交付したり追加貸付をしなかったであろうから右印鑑証明書の発行と相当因果関係を有するものといわねばならない。また、被告は、乙公正証書の作成は丙印鑑証明書を提出してなされたのであり、右の証明は誤っていないから、原告主張の損害とは関係がないというけれども、前述のとおり、甲公正証書がさきに作成されて根抵当権の設定登記等もされているから原告は追加貸付したものと認むべきであるから甲公正証書による債務は弁済せられ、新たに乙公正証書による消費貸借が成立したとみるべきであっても、右貸金が回収せられないことによる損害が前記印鑑証明書の発行と関係ないとはいえない。被告の主張は採用できない。

三、そこで、損害賠償の額について考える。前認定のとおり原告は北島から結局金一八〇万円を回収することができなかったわけであるが、≪証拠省略≫によると、原告は貸金業を営むものであるところ、前述のとおり印鑑証明書の未だ発行せられないうちに貸金の一部を交付し、一部返済を受けて再び追加貸付するまでの間担保提供者である大庫かねに面接したことなく、北島方において当初金員を交付する際にも、大庫が近隣に居住していることを知りながら、北島の妻(大庫かねの娘)から大庫が不在であると言われただけで、大庫に面接は勿論、電話その他の方法による連絡をしてもって大庫名義の委任状の真否を確かめようともしないで、しかも一旦返済を受けたものを再び貸出すに当っても大庫の真意を全く確かめなかったことが認められ、右認定を左右する証拠はないから、右は原告においてもその損害の発生につき過失あるものといわねばならない。よって、右過失は賠償額の算定につき斟酌すべきである。原告は印鑑証明書が添付されている以上一般私人には代理権の有無まで本人につき確かめることを要求するのは酷であるというけれども、原告は貸金業者であり、上述のとおり、容易に大庫について確かめることが可能であり、この措置をとる余裕は充分にあった筈であるから右の程度の注意義務を負うものと解するのが相当である。

右原告の過失を斟酌するときは、被告の賠償すべき金員は金九〇万円をもって相当と考える。

しからば、被告に対し、右金九〇万円およびこれに対する本件訴状の送達の日の翌日たること記録上明らかな昭和四二年九月一三日以降右完済まで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において本訴請求は正当として認容すべきであるがその余の請求は理由がないから失当として棄却し、民事訴訟法第八九条第一九六条により主文のとおり判決する。

(裁判官 綿引末男)

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